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第3の目

うちのGチャン(義父)は

Gチャンの息子である夫を
「みーちゃん」と呼ぶ。
 
○○という名前があるのに
30年も前に他界した
Gチャンのすぐ上の兄、みーちゃんが
居候しているという設定で
 
みーちゃんは仕事へ行き
Gチャンの車を勝手に乗りまわし
モノを勝手に使う、と怒る。
 
 
毎回、みーちゃんと呼ばれる夫は
諦めたような、でも嫌な顏をして
「オレは○○だよ!」と
いちいち訂正をしているが
 
先日、娘夫婦と夕ごはんを食べてる時に
「Gチャンは、ひょっとして
みーちゃんが見えてるんじゃないの?」
と娘が言い出した。
 
 
「ほら、背後霊みたいにさ、パパさんの
肩のところから顔出してるみーちゃんが
見えるんだよ(笑)」
 
 
そこから、室内楽の話しになり
演奏する時どんな視点、どんな意識をするか
声楽の娘は面白いことを言い出した。
 
歌は音を出す時、必ずイメージが必要で
高さ、強さ、柔らかいか、固いか
息の加減、軽いか、深いか、ニュアンス、
テクスチャー、etc
全部イメージをしてから、響きを出す。
 
「それなのにぃ〜ピアノってさ、
すぐ簡単に音が出ちゃうから
ちっとも、待ってくれないんだよね」
 
イメージしなくて考えないで
簡単に音が出せるって
信じられないらしい。
 
「いつもピアノを弾く時は
俯瞰して響きをイメージする
くせをつけるといいよ」
 
「必ず、どう弾いてるかチェックする意味で
第3の目を頭の上の方にくっ付けるのよ。
さっき、Gチャンがみーちゃんを見るような
背後に誰か見ている感覚でもいいかな。
 
その目で、必ずどう弾いてるか、
響きが合ってるか」
「歌う時って、常にイメージしなきゃ
音出ないんだよ」
 
「できるなら、私の頭の中って
こういうイメージで、こんな音が鳴って
こんな感じなんですって
そっくりそのまま送りたいって思うよ。
でもさ、ピアノって
音のヴァリエーション貧困で
私なら、「ド」だけでも
ひとつに命かけるくらいするのにさぁ」
 
おっしゃるとおりで。
 
目に見えないモノを共有するには
想像を働かせ、音を出す。
そして、客観視できる第3の目を持つ。
それが、「聴く」ってことか。
 
 
一音だけの表現の自由度からすると
声、弦、管、
ずっと低いところにピアノがくる。
 
イメージしにくい、自由度低い、客観性乏しい
こんな楽器であるピアノを弾くのに
どうしたら違いが出せるだろうか?
 
きれいな音、正しく弾く
一音、一フレーズにこだわる
イメージするくせを作る
 
どれも当たり前で、でも目指す所は
細く小さな階段を登っていくような
根気が必要だ。
ちなみに娘が幼稚園のころ
「第3の目の遊び」というのを考えて
お友だちに広めていたらしい。
 
今年の目標は「第3の目」