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のんびりのんびり
ピアノを習っている娘なのに
小学四年生ぐらいになると
「ピアノ弾けるでしょ?」
という目で見られます。
ある日、学校で
「アナタは、チェルニー何番?
ブルグミュラーは?」
と音楽専科の先生に聞かれ
どう答えたらいいか、わからないと
言ってきましました。
娘は、昔ながらの王道教本は
やっていなかったのです。
そして、とうとう
「辞める!」と喧嘩になりました。
ピアノの練習が自由にできない
自宅環境も要因のひとつでした。
私がつきっきりで見てあげられないのも
ピアノのことで争いたくないと
気持ちのどこかで
心を鬼にしたくない
甘っちょろい情けない心があったのです。
しばらくレッスンをお休みするのも
いいかもしれないと考えました。
そう決めるとホッとしました。
毎週、レッスンへ行く前に
渋々弾いては
行きたくないと駄々をこね
嫌々弾いてるかと思えば
集中し過ぎて
時間を忘れるほど
延々と練習しています。
本当に向いていないのか?
嫌いなのか?
我が子ながら、わからないことだらけです。

親子なのに、私のように
教えられない親もいれば
親子だから、きっちり教えられる親もいる。
他人故に、仕事として
しっかり教えられるけど
他人でも、相性があり
うまく教えられない先生がいる。
「親子」ってなんなのでしょう?
考えてみれば、遺伝子的には
父母からすると4分の1で
もしかしたら、
似ていない部分の方が多くて
似ている部分を探して
「親子だったんだ」と安堵するのが
親子なのかもしれません。
似ていないのが当たり前で
だからこそ
毎日、世話を焼き、様子を見て
心配をし、喧嘩もすれば
一緒に笑う。
ひとりでできるように心を砕き
叱咤激励し、見守る。
あとは勝手に伸びていくものだと
子育てがとっくに終わった頃に
教えられました。
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