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大伴旅人とブラームス

晩年の二人

万葉集の講座を数年受講している。

年に6回、テーマごと3回で完結する。

気軽で、古文チンプンカンプンの私でも
楽しいお話と時代背景から読み解く
万葉集は、日本語の素晴らしさと
はるか彼方の人々の感性に
尊敬と共感を覚える。


今期は「大伴旅人」
万葉集を編さんした「大伴家持」の
お父さんである。

「大伴氏」といえば、
歴史上で必ず出てくる豪族で
没落の憂いき目にあったりしたが
代々皇族臣下のトップクラスとして
仕えてきた。

そんな旅人の宮仕えの
最後のご奉公が太宰府で、
都からはるばる老妻を伴って任務についた。
単身赴任が通例な当時に
妻を連れて行くのは稀なことで

一度赴任先へ赴けば
道中無事なのか、生きているのか
とにかく命がけで
スマホも無い時代、旅と言えば
今生の別れを意味する。
(一夫多妻であり、現地妻も当然ある)

数え64の老人は、太宰府に着任後
せっかく連れてきた老妻を
呆気なく亡くした。
更に旅人より若い異母弟の訃報を
都から伝え聞き、ショックを受けた。

その時に詠んだ和歌に
「空しい」という概念を持ち込んだのが
画期的な旅人だったらしい。
仏教思想の「世の中は空しきもの」は 
今となっては、当たり前の表現だ。

茫然自失となった旅人は
「亡妻歌」という連作を詠む。

それがまた、寂しい寂しいと
亡き妻の慕情で溢れている。

和歌を詠むのは、晩年のたった3年間で
それを文芸、芸術の域に押し上げたのは
旅人なのだろう。

それまでの歌と言えば、フィクションで
接待ゴルフのようでもあり
まあ、上司を持ち上げたり
部下の垣根を取り払ったりと
宮仕えの役人、必須ツールなのだ。

クラシック音楽も、宗教的、貴族文化、 
余興的など、世の中の流れと時代背景によって
めまぐるしく変化した時期に
ロマン派のブラームスがいる。 
一層叙情的になっていく晩年に書いた作品、
インテルメッツオ (間奏曲)
とりわけ人気がある作品118の2は 
老女クララに捧げた曲だ。

旅人やブラームスのように 
晩年に芸術へ昇華する愛情もあれば 

認知症でも、毎週せっせとバアさんの居る 
施設へ通うウチのジイサマもいる。