ピアノ教本の歴史
バイエルという教本は昭和のド定番だが
19世紀の半ばにドイツで生まれた。
その後、米国へ渡り
アメリカを経由して日本にも輸入された。
欧州では、フランス、ハンガリー、ロシアなど
独自のメソッドが確立し
米国では、トンプソン、バーナム、ペースメソッドなど
新しい教本がぞくぞく提唱されていく。
しかし、日本は文明開化のころのバイエルが
戦前戦後変わらずあり続け
昭和の高度成長時代に
やっとさまざまな教本が出現する。
ピアノがごく一部の人々の
教養や趣味だったころを経て
普遍性を持った時
教本は必然的に開発されてきた。
国の経済成長や国力と一致しているのが
見てとれる。
「教本が変わるのに50年かかっている」
と先生がおっしゃっていたのが
印象的だった。
バイエルで育つ
当然、私はバイエル世代だった。
おぼろげに覚えているのは
もちろん弾くために
教本を使っていたが
読譜の勉強にも
活用していた記憶がある。
間隔の大きな五線紙に
色紙をお花やあひるに小さく切ったものを
五線の上に貼っていく。
今でいうと
ワークみたいな活動をして
音符と五線の関係を理解した。
「耳コピ」は楽だが
音符が読めるとひとりでも弾けた。
そんな、バイエルの特徴は
連弾で導入するというものだ。
右手は中央ドより
1オクターブ上のポジションで
左手が中央ドになる。
これは親子、兄弟、師弟といった
連弾を意識している。
一緒にピアノを弾くことをしながら
手ほどきをし
だんだん自立できるように
バイエル半ばくらいで、
やっとヘ音記号登場。
後半へ進むと、調号が増え
そびえ立つ山のように
乗り越えるのが困難になる。
バイエルの入り口と出口
音楽教室の講師をやっていたころ
個人レッスンの入口は、バイエルだった。
それは、グループレッスンの出口が
バイエル下巻へ進むように
なっていたからだ。
しかし、グループでも個人でも
進度や習熟度、
生徒さんの理解度から考えても
個別対応で教材が自由に使えたら
という思いがいつも心の底にあった。
たぶん、私の「自分で教えるしごと」の原点は
そこにあったと思う。
もちろん、グループで
「耳」を育て、アンサンブルを体験し
音楽の楽しさを味わい、
そして個人レッスンで、
細やかな指導と専門的な知識をはぐくむ
とても理想的で、こうありたいと
願うのだが
現実は、楽しいグループから
バイエルへ移行する個人レッスンは
音符が読めていない、
曲が途端に難しくなる、
つまらない、
子どもの数ほどの悩みがあった。
講師を辞め、
思考錯誤しながら
バイエルを使用していた。
分冊されていて、かわいらしく
楽しい雰囲気のバイエルや
それに伴う曲集もたくさんあった。
弾く順番を変える
連弾で楽しいアンサンブルにする
データのアレンジと合わせて弾く
手作りの譜読み強化ワーク
読む→弾くを徹底
1と2と~とカウントしながら弾く
少しずつ進む
ありとあらゆる策を練り
共にバイエルを攻略しようと
引っ張っていけるときはいいが
バイエル終了まで、続けましょうと
開始したのに
疲れて、小6になっても下巻が終わらない
脱落組が目立つようになった。
すぐさま、少し易しめな教本と
つまずきポイントを頑張って補正し
楽しく進むと、バイエルを使わなくても
出口にたどり着いた。
コメントをお書きください